塗装の歴史
人類が塗装を始めたのはいつ頃であろうか・・・
フランスとスペインとの国境付近(スペインのカンタブリア自治州)のアルタミラ洞窟の内部には、立派な壁画が現在残存しています。 この洞窟は、1879年に考古学者のマルセリノ氏およびその娘マリアの努力によって発見されたもので、今から15,000年前(後期旧石器時代)、先史人が起居していたところであるといわれています。
(1985年世界遺産に登録)
(1985年世界遺産に登録)
この壁画を書いた材料は、木炭粉末、赤鉄鉱の粉末(黄、赤、褐色など)を動物の血液や脂肪で練り合わせたものでし。壁画は、岩石面に動物像を描いたものですが、若干老化現象はみえても、画像は判然と残存しています。
6,000年前の古代エジプト時代のピラミッド内部の壁画には、油性物質が用いられているので、おそらく乾性油が原料となっているものと思われます。
わが国では、いまから2,000年前景行(けいこう)天皇の時代に漆液が用いられました。
約1,390年前の飛鳥時代の法隆寺金堂内の漆芸、壁画はあまりにも有名です。
ちなみに、法隆寺地域の仏教建造物として、1993年に世界遺産として登録されました。
右側:「法隆寺金堂壁画第1号壁 釈迦浄土図」
左側:「法隆寺金堂壁画第10号壁 薬師浄土図」
約1,390年前の飛鳥時代の法隆寺金堂内の漆芸、壁画はあまりにも有名です。
ちなみに、法隆寺地域の仏教建造物として、1993年に世界遺産として登録されました。
右側:「法隆寺金堂壁画第1号壁 釈迦浄土図」
左側:「法隆寺金堂壁画第10号壁 薬師浄土図」
近代、そして現代へ・・・
明治初年、欧米から、わが国へボイル油、油性ワニス、油性ペイント、セラックニスなどな持ち込まれ、塗装の技術・技能がひろめられました。
明治中期から後期にかけて、酸化鉄錆び止めペイントが輸入され、鉄鋼材料に対する防食塗装の分野で効果を発揮します。
明治後期から大正初期にかけて、わが国でも洋式塗料の製造が開始され、各種の塗装方式が工夫され始めます。このころは、はけ塗り、へら付け、へらしごきなどの技法が多く用いられました。
乾燥の極めて早いラッカーの出現は吹き付け(エアスプレー)塗装方式の開発をうながし、ライン塗装ができるようになりました。このため塗装の生産性が急上昇しました。
現在、わが国における塗料生産量の約70%は合成樹脂塗料です。本格的に合成樹脂塗料時代に入ったのは、1950年代で、性能のよい各種の合成樹脂塗料が次々に登場しました。しかし、真の意味での新しい塗料用合成樹脂は1960年代には出そろった感があります。それ以降は樹脂の改良および新顔料の開発が活発になりました。
わが国の塗料生産量は年間160万トンを超し(1983年)、世界第2位の地位を確保しています。
国民生活の向上(カラフルな生活)や資源保護(耐用年数の延長)の重要性を考慮すると、塗料の需要はますます増大することが予想されます。
また、いわゆる特殊機能性塗料の開発によって、塗料の応用範囲は著しく多岐にわたっています。他方、塗料の原料の約70%は石油化学製品に依存しており、資源節約および環境に対する要求はますます厳しくなるでしょう。
塗料の開発された年代の概略表
紀元前300年頃 | 漆が使用され始めたといわれる |
1850年 | 油性ペイントが日本に持ち込まれた |
明治初年 | |
1880年 | 油性ペイント、ボイル油 |
明治中期 | |
1890年 | 油性ワニス |
1900年 | 油性エナメル、セラック二ス |
明治後期 | |
大正初期 | |
(1918年) | 第一次世界大戦、休戦 |
1925年 | スパーワニス、ちりめん、結晶ワニス、ニトロセルロースラッカー、油溶性フェノール樹脂塗料 |
昭和初年 | |
1930年 | フタル酸樹脂塗料、塩化ゴム塗料 |
1935年 | >尿素樹脂塗料 |
(1945年) | 第二次世界大戦、終戦 |
1950年以降 | アミノアルキド樹脂塗料、エマルジョンペイント、塩化ビニル樹脂塗料、不飽和ポリエステル樹脂塗料、エポキシ樹脂塗料、合成樹脂調合ペイント、アクリルラッカー、熱硬化性アクリル樹脂塗料、ウレタン樹脂塗料、シリコーンおよびフッ素樹脂塗料 |
現代 | 上記塗料の低~無公害塗料化 |
「鉛筆から宇宙船まで」 社団法人雇用問題研究会刊「塗装材料 職業訓練研究センター編」参照